手にした(のかもしれない)もの

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子供を授かった代わりに失ったものがある。それを認めなければ進めないと、以前書いた。
一方で手に入れたもの、子供がいなかったら手に入らなかったかもしれない大事な事は何か。

今回、祖父母と1週間暮らし感じたことがある。
彼らにとっては、孫はただ可愛がる対象で、言って見ればペットとあまり変わらないのかもしれない。
子供と孫とで大きく違う。
なぜか。
ただ遊んでやればいいわけではなく、ただ飯を食わせればいいというわけでもない。
親と子の関係は、責任という言葉が表現しているような事務的なことではなく、肉体的・精神的なつながりだからではないだろうか。
自分の子供は、半分くらい自分だからかもしれないと感じた。

子育てを通して成長させられるというのが、手に入れたのの一つかもしれない。
そんなことは皆言っているが、具体的にはなんなのか。
忍耐力?様々な再発見?

今回自分の中で明確になったことは、子供を育てることで弱い立場の人間との共感力を与えてくれているということ。
遺伝子がそうさせるのか、自分の子供の痛みは自分の痛みのように感じる。
息子に食物アレルギーやアトピーがあるからか、子供の身の回りのことに気を遣って生活している。
もし、子供がいなかったら、食物アレルギーやアトピーをこんなに意識することはなかったと思う。
自分のことのように心配している。

他人である子供を自分のように感じて生きていくことで、2倍の人生を生きれるのかもしれない。
これまでよりも、違った立場の人間が存在していることを肌で感じることができるのかもしれない。

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