村上春樹の言葉から

スポンサーリンク

走ることについて語るときに僕の語ること より

そして現在、僕はその「想像もつかなかった」世界の中に身を置いて生きている。そう考えるとなんだかおかしくもある。そこにいる僕という人間が幸福なのか不幸なのか、自分でもうまく見きわめがつかないけれど、それは取り立てて問題にしなくてもいいことのように思える。僕にとってーーーあるいはほかの誰にとってもおそらくそうなのだろうがーーー年を取るのはこれが生まれて初めての体験だし、そこで味わっている感情も、やはり初めて味わう感情なのだ。以前に一度でも経験したことであれば、もう少しクリアにいろんなことが腑分けできるのだろうが、何しろ初めてなのでそんな簡単にはいかない。だから僕としては今のところ、細かい判断みたいなことはあとにまわし、そこにあるものをあるがままに受け入れ、それとともにとりあえず生きていくしかないわけだ。ちょうど空や雲や川に対するのと同じように。そしてそこには、ある種のおかしみのようなものが間違いなく存在しているし、それは考え方によってはまんざら捨てたものでもない、という気がする。

やっぱり、子供が生まれたり、仕事をやめたり、自分が失ったものは多い。間違いない。
その代わりに何かを得たのか?得られるのか?
と、この考え方がもう通じないのではないか?と妻と話をした。
天秤にかけることができないのではないだろうか?
自分だけの人生ではなくなってしまった時点で、これまで得たもの、そのまま得られたかもしれないもの、と、これから得られる可能性があるもの、は全く別物で、一つの天秤に乗せて比較することがナンセンスなのではないか?

だからこそ、失ったものをちゃんと見つめて納得する。そして、これから得られるかもしれないもの、今だから得られるかもしれないものを考えて見る。そして今何ができるか考える。

失ったものは多い。間違いない。
それを認めないと、前に進めない気がする。
これまでは、得たものばかりを数えて、失ったものは上書き消去していた気がする。
自分だけのために生きていくことができなくなった今、本当の意味で自分のために得られるものはあまり多くない。
でも別次元で得られるものがあるのかもしれない。それはまだわからない。
失ったものは多いかもしれないが、失望する必要はないのかもしれない。
想像していなかった未来が待っているかもしれない。
注意深く自分を見つめ、あるがままに受け入れ、楽しみにしようかと思う。

タイトルとURLをコピーしました