共感してもらうという安心感

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昨日、エアコンの取り付けが完了して、引っ越しも完了です、
エアコンは、前の住人が残してくれた配管があったのだけど、冷房専用だったため工事が必要だった。

外壁を配管が這ってベランダに室外機を置いているため、配管を付け直さなければならない可能性があり、斜向かい家が停めている車をすこし移動してもらう必要があった。
前々日の昼間に、斜向かいのおじさんが車を磨いていたので、お願いをしに声をかけた。
さほど愛想の良い人ではないが、その後も確認をしてくれたように、親切な人だったのだけど、世間話の中で、子だもの保育園の話題が出てきて、昨日で退園したことを話したついでに、僕が退職して主夫を始めることも話した。
うまく伝わらなかったような気がした。
そもそも、相手にはレセプターがないと言うか、受け入れようがないことなのかもしれない。
不信感だけ残ったような手ごたえだった。

この形を選択した時点で、こうなることは承知していたはずだが、結構ショックを受けた。
近所付き合いが心地よく暮らすポイントだと思っていることもあり、カミングアウトが早すぎたかな、失敗したなと思った。

と言うことを思い、何と無く悶々としたままいたが、
次の日 、妻に話をしてみた。
わかってはいたことなんだけど、やっちまった感があるんだよね〜、仕方ないけどさ〜、と。
仕方ないよね〜、と言われただけなのだけど、なんかホッとした。
何も解決していないんだけど、共感されているだけで安心を手にすることができるのだろうか。
 

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